昨日までは、出来ていたことや近づけていた事が、日によってできなくなることがあります。特にポーズの練習をしていると訪れてくる波というもの。
今日はふらついてキープできないな。逆立ち系のポーズや腕で支えるポーズは身体の使い方が今ひとつだからか、こないだは近づけたのにまた遠のいちゃったな。いつものように深い呼吸をしようとしても、なんだか今日は息が浅くて、苦しく感じてしまうなど。 この世界には訪れる波があります。

それに加えて、日常では母という義務も加わり、いつもなら笑顔で流せるのに何だか今日は子どもの一言に、「カァっ!!」と怒りが爆発してしまう事も。
「波ってあるよなー。」と眺められる一方で、出来るようになりたい気持ちや、子供に対してもこちらの都合を優先したいタイミングや良い母親でありたいなど、様々な心の状態が訪れる日々。更には人と比べだしたり、落ち込んだりと本当に騒がしい心ですよね。
今回は、そんな時の捉え方について、私なりのヨガ哲学から学んだ、どこに意識を向けるとよいのか。というお話し。
- バガヴァッド・ギータより「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」
だいたい毎日、同じスケジュールで動き、同じ家事をして、昨日と同じ自分を淡々と生きているように思えますが
季節の移ろいや、天気や気温、気圧といった外側の環境はもちろんのこと、体内の「気(エネルギー)」の巡りやホルモンバランス、そして心にかかる目に見えないストレス。
ヨガの教えではこの様な教えがあります。この物質的な世界の三要素、「グナ」。光や純質さをもたらすサットヴァ、動きや変化の激質をもたらすラジャス、闇や停滞の暗質をもたらすタマス。
ヨガの教え、古くから伝わる叙事詩バガヴァッド・ギータの物語の中にこう記されています。
「三要素(グナ)なるものを離れよ。アルジュナ。常にサットヴァに立脚し、獲得と保全を離れ、自己を制御せよ。」
賢者アルジュナに、神であるクリシュナが諭し導くシーンですが、心に残っています。意識して生活していないと心がタマスやラジャスに引っ張られてしまいます。成功や損得を考えて行動してしまったり、ラジャスが強まると、先程例にあげた子供への対応一つにしても口調が激しくなったり、食も味の濃いものを欲してしまう。タマスに引っ張られてしまうと、寝すぎたり、腹八分目で我慢できず過食気になったりしていました。更には私のように自律神経の悩みが出始め、怖さから逃げるように避けてみたり、と思えば過剰なまでに「私の」身体という意識から湧いてくる執着心。「私の」身体に異常がないか、仕事中にも関わらず、話しかけないでとばかりに、脈拍を数分置きに測ったりと、おかしくなっていました。これは経験してキツかった事です。なのですが、バガヴァッド・ギータの先生の解説を聞き勉強している中で、本当に少しずつ、変化があることがあります。そして日常生活を送るうえでとてもためになっている事。
2. 「今、目の前にある事を精一杯におこなうこと」
ヨガ哲学を学ぶと出てくる「私に心を向け専心、信愛せよ」という言葉。神に意識を向けなさいということなんだな。くらいに思っていましたが、最近、私の中では、「私に心を向け専心、信愛せよ」とは、
目の前のことに集中しすること。だと捉えることがあります。グナに引っ張られてしまう時とは、私の中で、度を超えてダラダラしてしまう暇な時や、高いものに意識を向けずに時間を無駄にしている時などが多いことに気が付きました。思考がどんどんマイナスに働いて、何の根拠もなく、超最悪な事態を想像してみたり。二の矢、三の矢と、どんどん思考はネガティブに。そこで、「私に心を向け専心、信愛せよ」とは。ただ目の前のことを精一杯にやろうという事かな、バガヴァッド・ギータにもあるように結果も期待もせずに。みたいな気持ちで日常を過ごすと、思考パターンに少し変化がありました。
例えばポーズの練習でも、先生のヨガを受けていると、大体どの時間帯に私の苦手なポーズが来るかが分かります。もうすぐだな。今日はどんなキツイポーズが来るのかな。なんか今日は調子が悪い気がする。いやいや!苦手ポーズ出来るようになりたい!など考えていました。ですが先生が、「ワンポーズ、ワンポーズを捧げていきましょう」とお話してくれるんです。それから自分のために行うヨガから、目の前のポーズと向き合うだけ。今の自分の力を精一杯出そうと心がける。捧げるように純粋に。と思うようになりました。それから子供とのやり取りも(ポーズより強敵かも笑)あまり先の事を考えず接する。気がつくと、そのほうが楽なことに気が付きました。
3. 揺らぎ続ける「今」を
神社の大きな木々を見上げると、いつも同じ姿をしているように見えて、実は日差しを浴びる葉のきらめきも、風に揺れる音も、毎瞬違っています。雨の日もあれば、静かに葉を落とす季節もあります。
自然がそうであるように、私たち人間も揺らいでいて当たり前ですよね。だからこそ古くからの教えが現代まで継承されてきた生きていくのに必要な智慧なんですよね。
神社ヨガでは日々移り変わる自分の揺らぎを、ただ優しく見つめる時間になったらいいなと思っています。
ぜひ神社の澄んだ空気の中で、身体を使ったヨガを体験してみてください!
心と体をつなぐヨガ chiharu

