【自律神経が乱れた私が、経験からこの身体の反応は恐れなくても大丈夫。と分かるようになったその鍵とは「観る」!】

「またあの恐ろしい発作が起きたらどうしよう」

「このまま私の体はおかしくなってしまうのではないか」

自律神経を乱していたその時は、毎日、得体の知れない「恐れ」に支配されている感覚がありました。携帯電話の画面には「119」と発信できる準備をしていました。そしてパニック発作が起こった時、身体の反応としてこんなにも現れてくるのかと、とても怖く、初めての事ばかりで、身体がおかしくなったんだと、実際に電話をかけてしまったこともありました。それに仕事中であるにもかかわらず、自分の脈拍を数分おきに測っては「私、普通に生きれているな」と確認。そして夜になれば恐怖から瞳孔が開いているのか覚醒したかのように眠れず……。

今振り返れば、必死だった私ですが、生き地獄のように感じる日々でした。

今回は、そんな私が経験から「この不快感は自然なこと。大丈夫なやつだと思えるようになるまでの心の変化をお話しします。

1. 私を支配していた、脳が作り出す恐怖

自律神経が乱れているとき、よくあったことが、さっきまで普通に過ごせていたはずなのに、急に心臓がドキドキし始める。喉の奥が狭くなって、息が吸えなくなっていくような感覚。人間ってこんなに動悸がしても、一体大丈夫のものなんだろうか。「何か大変な病気なのではないか」と、最悪の事態を想像してしまう。

当時の私の恐れの数々は、今思えばすべて、脳が作り出した「幻想」に身体が反応してしまうという感じ。

  • 「119」を今押さなきゃ手遅れになるかもという予期不安
  • 自分の心臓や体調のわずかな変化への、過剰なまでの執着
  • 「もう以前の健康な自分には戻れない」という絶望感

不調がくる直前、だいたい足が冷えていて、更に少しブルブルと震えていました。その時はその震えや冷えが「恐ろしい病気の前兆だ」と怯えていました。ですが、それはただ「自律神経の乱れから体が冷えてしまったから」という、とても単純な物理現象だったと思います。もちろん良いことではありませんが、脳が恐怖のプログラミングを勝手に作動させて、勝手にパニックへと集中してしまっていたんだなと思います。

2. 「あ、またこの感覚がきた。私揺らいでいるな」と、ただ眺めて流すこと

そんな苦しさから私を連れ出してくれたのが「自分を観察する」という事でした。何か習ったことを一生懸命やってみようとしたのではなく、何回も何回も重なった不調と、向き合わざるを得ないことで、段々と「観察」を試みている間に、少しずつ身体が待っていてくれるようになりました。それから身体に反応が出ても焦りをどうにか、少し冷静に、「この胸の騒がしい感じは、今日忙しかったからだ。」「一人で頭を休める時間が取れていなかったからだ。」など思うになっていきました。ちょうど先日も、晩御飯の支度中、何か理由の分からない不快感とともに、息苦しさや、胸の閉まる感覚がありました。またこれ来たな。と同時に、夕方、子供とのやり取りに疲れ果ててしまい、更に日中も仕事で頭の中がフル稼働。これは身体の不調から来ているのではなく、心の問題だな。一旦、深い呼吸で落ち着かせよう。加えて、身体は温かいほうが心も穏やかなことも段々と感じていました。温かいだけなんだけど、心が安心していられる事にも気付いていきました。そわそわして落ち着かない時は、温かい飲み物を飲みます。そうすると呼吸が深くなったのを感じることが出来るので、割とすぐに恐れが抜けて「今」のやっている事に集中出来るように。

東洋医学の専門の先生に習ったことや、ヨガの先生に聞いたことが心の支えになっています。季節の移ろいや変化に影響を受けること、自分がどんなエネルギーが高まり過ぎているかで、回避出来ることを学びました。

これを知った時、心底ホッとしたのを覚えています。

コントロールしようとせず、ただ「いま、足が冷えているな」という感覚に意識を向ける。温めるという行動を起こす。

ヨガ哲学では、心の中の雑念や感情の揺らぎ(ヴリッティ)は、空を流れる雲のようなものだと言います。 「恐れ」は、自分自身ではないこと。ただ、一時的に通り過ぎていくだけの雲であり、川を流れる葉っぱ。自分から掴みにいってしまわないように。ただ、「あぁ、流れているな」と眺めることをするだけだそう。なかなか難しい気もしますが、少しずつ慣れていきました。

3. 神社ヨガという場所で、その恐れなどをキャッチしない感覚に心を向けてみませんか

あれほど恐れに震えていた私ですが、今では「怖くなったら足を温めればいい」「呼吸が深く入るように器(身体)をポーズで鍛えよう」という、自分を安心させるお守りをたおくさん持っています。

原因不明の不調や、得体の知れない恐れに押し潰されそうになっている時ってほんとに気持ちが落ちていくんですよね。ネガティブ大好きな脳が、二の矢、三の矢と運んできます。

「ヨガ」は、緊張で体が強張り、頭の中が恐れでいっぱいになってしまっている時、安心して委ねることが出来るよう心強いものです。同じ様な悩みを持つ方に、ヨガに触れる機会が増えると良いなと思います。

神社ヨガでは、大きな木々に守られ、澄んだ空気を吸い込んでいると、「私はこの大自然に守られているんだ」という絶対的な安心感が湧いてきます。

恐れが湧いてきても、大丈夫。

まずはヨガのポーズで体を心地よく動かし、滞ったエネルギーを流してあげましょう。

そして、神社の静寂の中で、頭の中に次々と湧き出てくる恐れの数々を、風に乗せて、サラサラと外へ流してしまいましょう。

ぜひ、神社の温かい自然の中で、そのままの自分でお越しくださいね。

心と体をつなぐヨガ

chiharu