「なんで分かってくれないの!」 「早くして!」
子どもとの愛おしいはずの日々。けれど、日常のふとした瞬間に頭に血が上り、カァっ!!と怒りに支配されてしまうこと、ありませんか?
自律神経を乱していた頃の私は(今もです。。。笑)そんな自分をコントロールできず、イライラした後に激しい自己嫌悪に陥る……という悪循環を繰り返していました。
今回は、そんな私がヨガの哲学と東洋医学に出会い、子育てのイライラから救われた「お守り」のような知恵をお話しします。

1. 「思い通り」を目指すほど、遠ざかっていった心の平穏
ヨガを学ぶ前の私は(今もですが笑!)、子供との日々で最も重要なのは「優先順位を立ててその通りに何とか遂行する」事という強い執着(思い込み)を持っていました。
しかし、現実は容赦ありません(笑)。 時間になってもテレビを消すことが出来ない、私の声は届かない子どもたち、迫る時間、案の定、出発が遅れる、苛つく!焦れば焦るほど胸が締め付けられ、些細なことで怒りが爆発していきました。
ヨガのクラスで「深く息を吐いて、落ち着いて」と言われても、怒りの渦中にいるときは「そんなこと言ったって、今このイライラはどうにも出来ない!」と、自分の呼吸にさえ裏切られたような気持ちになっていました。
「ヨガを学んでいるのに、どうして私はこんなに怒りっぽいんだろう……」
そんな風に、自分を責めていました。
2. 東洋医学が教えてくれた、「怒り」はエネルギーのサイン
そんな私の心を救ってくれたのが、東洋医学の「五行論(自然界との知恵)」との出会いでした。
専門の先生に診ていただいたところ、私自身が先天的に持っているのは「水(恐れや不安に繋がりやすい)」のエネルギー。そして、後天的に強く出ていたのが、高まりすぎると感情の「怒り」として現れやすい「木」のエネルギーでした。
「あぁ、私のこのイライラは、私の性格が悪いわけでも、母親失格だからでもないんだ。体内の『木』のエネルギーが一時的に高まりすぎて、行き場をなくしていただけなんだ」
そう知った瞬間、すーっと肩の荷が下りるのを感じました。
東洋医学の素晴らしいところは、高まりすぎたエネルギーをコントロールする具体的な「逃がし方」を教えてくれるところです。
先生から教わってから、私はイライラが爆発しそうになったら、こんなセルフケアを実践しています。
- 一旦、その場を離れて一人になる(空間の風通しを良くする)
- バケツにお湯を張って「足を温める」(頭に上った血を下に下ろす)
- レモンや梅干しなど「酸っぱいもの」を口にする(木のエネルギーを和らげる)
たったこれだけのことですが、怒りの熱が引き、風が心に通るのを感じます。「カァっ!!」となったら、このお守りがある。そう思えるだけで、心に大きな余白が生まれました。
3. ヨガの「手放す教え」を
ヨガの哲学には、asteya(不盗)という教えがあります。
ヨーガ・スートラ2-37節に「アスティヤ(不盗)に徹したもののところには、あらゆる富が集まる」
【一息一息を敬虔に受取り、それを他者に奉仕するために使うのだ。 受け取っておきながら何も返さないのは盗人である。我々は世界を変えようとするのではない。我々は自分自身を変え鳥のように自由だと感じることが出来るのだ。冷静さは感染する。こちらが微笑めば相手も微笑み返す。我々は喜びを感染させるべきなのである。何の煩いもない人生というのはよく制御された不安から自由な、私的欲望や私的所有のない心によってはじめて可能なのである】
子育てにおけるアスティヤの私の解釈とは、返すように接しようと頭の片隅に置き「怒りで伝えても子供も受け入れられない」や「思い通りに動いてほしいという子どもへの期待」を手放すこと。
それでも子どもを怒ってしまった時は「あ、今、私の中の『木』のエネルギーが高まっているな」と、眺めて、足を温めて、酸っぱいものを食べて、身体を少し動かしてあげる。
そうやって知恵を借りることが、私にとってのヨガの実践です。
今、私は「神社ヨガ」を開催していますが、日々の忙しさから一旦離れて、バラバラになった心と体をつなぎ直す重要な時間になっています。
神社という神聖であり、木々に囲まれた静寂な空間は、日々の忙しさから解放され、自分だけの「器」を取り戻すのに最適な場所です。
いつも誰かのために頑張っているその身体を、まずはヨガのポーズでしっかりと動かし、滞ったエネルギーを流してあげましょう。
そして、澄んだ空気の中で、ただ「何もしない自分」を許してあげる。
子育てに疲れたとき、イライラが止まらないとき。自律神経が乱れたと感じる時、 どうか自分を責めずに、神社の自然に身を委ねにきてくださいね。
心と体をつなぐヨガ
chiharu

