「どうして私だけ、こんなことになってしまったんだろう」 「周りの人はみんな元気に過ごしているのに、なぜ私だけ思い通りに動かないんだろう……」

自律神経を大きく乱していた頃は、常にそんな言葉を心の中で繰り返して周りを見ては落ち込んでいました。そのうち、パニック発作が出始めて、常に「一人で暗闇に取り残されている」ような強烈な孤立感と、どうにかせねばという強さの中にいました。
今回は、「自分だけじゃないんだ」と思えるようになったことで癒された経験と、変化、そこから得られた安心感についてのお話しです。
1. 「どうして私だけ……」感じていた強烈な孤立感
不調のピーク時、自分の体調の本当に些細な変化にばかり意識が向き、周囲との間に高い壁を感じていました。
仕事中にもかかわらず脈拍を数分おきに測ったり(私ちゃんと生きてるよね?)発作が来そうな気がしたらすぐに、携帯電話の画面を119番をセットして身構えたり。夜になれば恐怖から目が冴え渡り、「私という人間は一体何者なんだろう、そもそも人間って何だろう」と、乳児が始めて「自分の手」というものを認識する時にじっと手を不思議そうに眺めるかのように、私も同じ事をしていました(おかしいですよね笑!)
街を行き交う人たちや、子育てを楽しんでいるように見えるお母さんたちを見ては、「みんな普通に生きられているのに、どうして私だけ……」と、何が違うの?と落ち込んでいく日々。
「自分の身体が普通じゃなくなった」「こんな不調を抱えているのは自分だけだ」と思い込むことみ、追い詰めてしまっていたのです。
2. 「私だけじゃない」と知った時、スッと胸の荷が下りた
そんな私の世界が変わり始めたのは、意を決してヨガスクールに通い始めていく中での出会いでした。
スクールでは哲学の時間に沢山の事を学びましたが、特に「人はなぜ生まれ、どう生きるのか。」という壮大な問いに、聖典バガヴァッド・ギーターや、ヨーガ・スートラを丁寧に先生が読み解いてくれる時間が設けられ、自分自身も、これまでの事や、思いをシェアする時間がありました。そこでは一見とても元気に見える人たちも、実は同じように自律神経の乱れや原因不明の不調、同じようにパニック発作を経験した方、人間関係の悩み、子育てのイライラや揺らぎなどと、と必死に向き合ってきた方達がいることを知りました。
「あ、この怖すぎると思っていた症状は私だけじゃない」
固まっていた重い塊が少しずつ剥がれていきました。
自然界を構成する要素があります。サットヴァ・ラジャス・タマス。このどれかに私たちはいます。交感神経が高まりすぎるとラジャスが強まり、寝すぎたり怠惰的になるとタマスが優位になります。聖典バガヴァッド・ギータには、神の言葉に「常にサットヴァに立脚せよ」という一文があります。意識を向ける先は、純質な要素に向けていたいところです。
東洋医学の基礎を学んだ時も、季節の変わり目や日々のストレスによって気(エネルギー)のバランスが乱れやすい事を知り、動悸や不安が起こるのは「人間としてごく自然な反応」だと感じるようになりました。私が「自分だけがおかしい」と思っていた症状は、決して異常ではなく、多くの人が経験する身体のSOSのサインだったのです。
「自分だけじゃない」と分かること。それだけで、抱えていた恐怖の半分以上がどこかへ吹き飛んでいくような、圧倒的な安心感に包まれました。
3. 神社ヨガで、そのままの自分を包み込む安心感を
「不調があるのは自然なこと」「揺らいでいるのは自然なこと」。大切なのはどこに意識を向けるのかということでした。 そう思えるようになってから、私の心と体は少しずつ本来のしなやかさを取り戻していきました。
「私だけじゃない」という安心感は、開催している「神社ヨガ」の原点にもなっています。
神社ヨガに足を運んでくださる方々と、こんな事あるよね!私もあった!とシェアしています。それぞれに沢山の悩み、身体の不調などを抱えていることもあります。 そんな時は呼吸に集中します。神社の大きな木々に守られ、澄んだ風が通り抜ける空間に集まると、意識の向かう先は、恐れではなく、本来の自分へ。
もし今、「どうして自分だけ……」と思っていたら、呼吸に意識を向けてみてください。新たに入って、出る。そんな循環がそこにはあります。
澄んだ自然の中で、一緒に心地よい呼吸を通していきましょう。
心と体をつなぐヨガ
chiharu

