苦行を捧げるー金比羅山1368段の先に

みなさん、こんにちは!

今年のゴールデンウィーク、皆さんはどのようにお過ごしでしたか? 私は家族と共に、香川県の「金比羅山(こんぴらさん)」へお参りに行ってきました。

今回のブログのタイトルは「苦行を捧げる」。 穏やかな連休の思い出話……のはずが、私のヨガ魂を試されるような、試練の時間になりました!

「そんなにキツくないよ」と聞いていましたが!

金比羅山といえば、有名なのがその階段です。 本宮までで785段、さらにその奥の「奥社」まで行くと合計で1,368段

登る前、すでに経験したことのある周囲の方々からは、こんな言葉をかけられていました。 「そんなにキツくないよ」「小学生でも登れるくらいだから大丈夫!」

その言葉を抱き、普段ヨガもしているし、もちろん一番上まで登りきれるだろうと思っていました。どこか「ちょっとした散歩」のような気持ちで、家族と共に登り始めたのですが・・・

身体の熱(タパス)と向き合う

登り始めて数十分。 爽やかな風とは裏腹に、息があがってきました。あれなんかキツくなったきたな。息も切れてきたな。

ヨガの教えに【ヨーガ・スートラ第2章43節】

「タパス(Tapasah)苦行によって、身体と感覚の不浄が消え、超自然力が得られる」という言葉があります。 日本語ではタパスとは「苦行」や「焼くこと」と訳されます。 自己を鍛錬して、内側にある不純物を燃やすための熱を意味し、更には受け入れること、苦行を迎え入れることで、未だに手にしていない新しい力が宿ると聖典の解説に書かれています。

1,000段を超えたあたりから、足の感覚が徐々に変わり、呼吸は荒くなりました。「あと〇〇メートル」という看板を見ても、そこからがやけに長く感じてしまい、「上まで行けるかな」という、ネガティブ大好き思考が頭をよぎり始めました。更には妄想はどんどん広がります。ここで無理をしてまた気分が悪くなったりしたら・・・気がつくと私の集中の向かう先は、ネガティブへと高まっていきます。

周りを見れば、たしかに小学生たちが元気に駆け上がっています。息子も疲れるどころか駆け上がっていきます。 私の肉体にとっては、この階段の一歩一歩で息が「はぁはぁ」。ちょっと待ってほんとにキツイかも。ヨガしてるのにな・・・と少し落ち込みながらも何とか一歩一歩足を踏み出すといった感じになっていきました。

そうだ。この一歩を捧げるんだ。

ヨガのポーズ(アーサナ)をキープしている時も同じですが、限界を作り始めると、思考は「逃げたい」「辛い」という言葉で埋め尽くされます。

そんな時はヨガの教えタパスを思い出します。ヨガクラスで先生が最後「オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ」のあとに、「今日の私達の練習を捧げます 」といつもお話されるのですが、その言葉が降りてきて、次の段に足を乗せる。その繰り返し。 吸う吐く息に意識を向ける。集中の先はネガティブではなく苦行を受け入れるということだ。と意識を持ち直していきました。

自分のエゴや「楽をしたい、もうここまででいいや」という気持ちを一旦スルーして、この1,368段の階段に一つずつ熱を置いていくように、望まなければ。神様に「苦行を捧げる」ような時間にしようと思いました。

頂上で見つけた静寂

そんなこんなで、ようやく辿り着いた奥社。 そこから見下ろす讃岐平野の景色は、美しかったです。そして頂上から降りる時は、マントラを唱えながら。最初の一段目に戻るまでマントラを唱え続けながら降りることが出来ました。

「小学生でも登れる」という言葉は、たしかに嘘ではなかったかもしれませんが、でも、私はキツかった!!本当にキツかったです。が正直な気持ちです。今の自分の体力と向き合った結果、日々の鍛錬の甘さを痛感しました。

筋肉痛という「お土産」は数日間残りましたが、自律神経の不安があっても出来たよ!と少し誇らしくもあります。

皆さんも、日常の中に「ちょっとキツいな」と思う瞬間はありませんか? それを「嫌なこと」として捉えるのではなく、自分の熱を灯す「タパス」として捧げてみてくださいね!

今回の金比羅山での気づきを活かし、「下半身の安定」にフォーカスしたクラスで、筋肉痛の私と一緒に、一歩一歩を大切に動いていきましょう(笑)

心と体をつなぐヨガ

chiharu