新米ヨガ修行者の私が今出来ること

はじめに

初めまして。まだまだヨガを始めたばかりの「新米ヨガ修業者」です。日々の学びや気づきをブログという形で皆さんと共有できたらいいなと思います。

私は40歳を過ぎて、急な動悸やパニック発作に悩まされるようになり、心臓がバクバクする恐怖と常に隣り合わせでした。家にいても、子供の自転車の送迎中も、ふとした瞬間に襲ってくる発作に怯え、薬を肌身離さず持ち歩く日々。薬がないと不安で仕方なく、家に忘れた日は取りに帰ることもありました。

そんな中、探し回る中で出会ったのが「ヨガ」でした。以前は「痩せるためのエクササイズ」だと思っていましたが、藁にもすがる思いでYouTubeを見ながら始めた太陽礼拝が、少しずつ穏やかさを思い出させてくれました。この体験をきっかけにヨガの奥深さに魅了され、本格的に学びを始めました。

ヨガは、体が硬いから…と諦めてしまう方もいるかもしれません。でも、一番大切なのはポーズの美しさではない。ヨガは日常生活と共にあるものでした。

ヨガの取り組みと気づき

最近ヨガの先生が言っていた、「一番大切なのは瞑想、その次に呼吸法、そしてポーズ(アーサナ)」という言葉がとても響いています。

瞑想は本当に奥が深く、まだまだ理解できていないことばかりです。毎日、同じ時間に、同じ場所に座り、まずは神棚を拭くことから始めています。神棚の前で感謝の気持ちを伝える時間を持ち目を閉じる。それが出来るように意識しています。起きることが出来なっかた日、あーダメだ。と、そんな自分に苛立ってしまうこともあります。でも、ヨガを学んでいる仲間や先生の言葉に触れることでブレた軸をまた中心に戻し余計なことは考えずただ前を見る。

今の私にできること。それは毎日の規律を意識すること。同じ時間、同じ場所に座る。その習慣を大切にすることでブレた軸を戻すように瞑想し呼吸を整え、ポーズの練習に励む。そこに重きを置いています。

意識的に日々を過ごすようになると、自然と食事にも目が向くようになりました。以前は何も考えずに、自分の欲するままに食べていました。疲れた時は甘いもの、そして急に欲する辛いものやしょっぱいもの。という感じで刺激物を好んで食べていました。そしてまた定期的に欲する。欲は止まることを知らない。次々と欲していきます。

まず、今は太陽や大地に感謝しながらできるだけ自然なものを口にするように心がけています(そう、うまくいかないことも多々ありますが)子どもの前でも、手を合わせて「いただきます」と感謝を伝えるようになりました。

ヨガ哲学に救われた日々

子育てをしていると、思い通りにいかないことばかり。静かだなと思ったら、お決まりのイタズラ。息子のポケットから幼虫が出てきて、大声で驚いてしまう…なんてことも日常茶飯事です。

そんな時、心の波立ちをコントロールする訓練になるのが「子育て」であり、それがまさに「ヨガ」なのだと気づかされました。以前は子供の反抗的な態度に、瞬間湯沸かし器のように沸騰してしまうことも多々ありましたが(昨日もキレてしまいましたが。。)ヨガ哲学を学ぶことで、その感情を遠くから観察できるようになる場面も。

『ヨーガ・スートラ』というヨガの経典には、「ただ見るもの(真我プルシャ)」という教えがあります。肉体という衣装を身にまとった私たち。その奥には本当の私が存在します。プルシャとして湧き上がってくる怒りや不安の感情を、遠くから眺める。そう意識するだけで心がスーッと落ち着いていく感覚があることも。

「今、ここ」に意識を集中すること。外へ外へと向いていた意識を、自分の内側へと戻すこと。ヨガ哲学の教えから学んだことです。

ヨガに秘められた力

私達の中には潜在的に存在しているエネルギーがあると言われています。ヨガに励むことで呼び起こし、目覚めさせる。私はヨガを始めてから、大きなパニック発作を起こすことはなくなりました。ふとした瞬間に訪れる焦燥感や不安も、ヨガで学んだ哲学や呼吸法のおかげで、スッと感情が引いていくのを感じます。それはまだまだだけど集中して取り組んだ先に出会えた新たな自分。少し頼もしい自分。だけど謙虚に淡々と。

生きていると、思いがけない不調や不安に襲われることがあります。でも、それはきっと、立ち止まり、自分と向き合うための大切なサインなのだと、今では思えるようになりました。

体や心が不安定で何をしていいかわからない方、ヨガに興味はあるけど体が硬いから…と諦めている方。まずは1日5分、座って目を閉じることから始めてみませんか。きっと、新しい自分が待っています。

ヨガを日常に。

心と身体をつなぐヨガ chiharu