自律神経の乱れに苦しんだ私がヨガと出会い、心身の不調と向き合った体験。
こんにちは。ヨガ学び中のchiharuです。
私は数年前まで、常に何かに追われるような、心がざわざわと落ち着かない日々を過ごしていました。特に40歳を過ぎてから、原因不明の体の不調に悩まされるようになり心の不安や緊張が身体に不調として現れてくることを実感した経験があります。

目次
- 急な不調に襲われた日々
- ヨガはポーズだけじゃなかった!
- 日常に活きるヨガ哲学.手放した先にある無執着
- 瞑想とは。ただ座ることだと思っていました
- 今、この瞬間を大切に
急な不調に襲われた日々
「どうして私がこんな目に?」と思うこともありました。自律神経の乱れからくる突然の動悸やパニック発作。それは仕事中や、子どもとスーパーにいる時、時には自宅のリビングで襲ってくる恐怖でした。
急に心臓がドキドキして、このままだと私はやばいのでは。と怖くなり、救急車を呼べるように携帯を片手に、パニック発作が過ぎるのを待っていたこともあります。
病院で検査をしても「異常なし」。身体に問題がないからこそ、どうすればいいのか分からず、正体不明の不調に不安な毎日でした。薬を飲むことで一時的に落ち着きましたが、「このまま一生薬を飲み続けないといけないのかな」という漠然とした不安も消えませんでした。
そんな時調べまくっていたところ、インターネットで「自律神経をヨガで整える」という記事に出会ったのです。藁にもすがる思いで、まずはYouTubeを見ながら自宅で太陽礼拝を始めました。
ヨガはポーズだけじゃなかった!
以前にもヨガをしていた時期はありましたが、当時は「痩せるための運動」だと思っていました。でも、パニック発作に苦しんでいた私が太陽礼拝を続ける中で感じたのは、心の落ち着きと穏やかさでした。ポーズを取ることで、乱れた呼吸が整い、いつの間にか心が満たされていくような感覚でした。
「ヨガにはこんなにも深い魅力があるんだ!」そう感じて、41歳にして家族に相談し協力を得てヨガスクールに通うことを決意。そこで知ったのは単なるエクササイズではなく、深い歴史とともにある科学でした。
初日の講義で、先生に一番はじめに言われた「ヨガを学ぶと、必ず変わります!」という力強い言葉は宝です。
私たちは日常生活で、外に意識が向いてしまう。人の顔色を気にしたり、過去の失敗を悔やんだり、未来の不安に怯えたり…。そんな外へ向かっていた意識を、自分自身の中へと戻す作業がヨガなんだと学びました。
日常に活きるヨガ哲学。手放した先にある無執着
ヨガ哲学と聞くと一見難しいと思われがちですが、実は日常生活に深く根ざしていました。
以前の私は仕事で「すみません」が口癖で、常に周りの目が気になっていました。
「私はどう見られているんだろう?」
この考えに縛られていた時、まさに精神が乱れていたんだと思います。ヨガ哲学は、そんな自分を変えたいと思った時、何かを取り入れるというより、手放すことだと教えてくれています。そのために必要なのは修習です。
『ヨーガ・スートラ』
1-13【これらの心の作用は、修習と無執着によって止滅される】
(これらの心の作用とは五種類あるとされる心の様態のことです。ブリッティという心、マインドの中身のようなもの)
1-14【これら二者のうち、心に不動の状態をもたそうとする努力 が、修習である】
一日や2日ではない持続的なもののことである。また一日に何分かで後の時間やりたい放題というのではなく常時携わっていなければならない。
修習のやり方は八支則として詳細にかかれています。修習ができたさきにあるのが執着しない境地、自由で集中が高まった境地です。
以前は、怒りや不安を感じるとその感情に振り回されてばかりでした。特に仕事や子育て中に瞬間湯沸かし器のように感情が高ぶってしまい、裏を返すと人からの見た目や自信のなさ、そんな気持ちに振り回されて良い自分に対する期待や執着がありました。それは今思えばとても深く自分に根付いてしまっていました。
八支則によると、
やらないほうが良いこと、すすんでやったほうが良い事、身体を強健にすること、呼吸をコントロールすること、五感に対する統制、集中、瞑想、そして至福。
これが修習していく内容です。まさに日常でどう行動していくのかということ。
これらが2000年前に説かれていたので驚きです。
瞑想とは。ただ座ることだと思っていました
瞑想は、静かに座って目を閉じることだけではありません。それは、自分の中の「思考」を観察するための練習です。
瞑想を始めたばかりの頃は、頭の中が先程記したようにとにかく騒がしくて全く集中できませんでした。「あのひとあんな表情していたな、まずい言い方しちゃったかな」「みんなはまだあの仕事、まだ終わってないな」など、次から次へと思考が浮かび、それに振り回される日々。
でも、先生のお話や学びを続けるうちに、この思考を「見る」という方法があるんだという気付きになりました。
私たちの肉体の奥には「真我(プルシャ)」という、本当の私が存在している。それは怒りや悲しみといった感情に左右されない、穏やかで揺るぎない自分自身。瞑想は、その真我と繋がるための修行である。
私たちは、この物質的な世界で沢山の思考から、自我や執着に苦しんでしまいます。ヨガは、その執着を少しずつ手放し、穏やかな心を取り戻すための道筋を教えてくれました。
今、この瞬間を大切に
毎日朝起きて、神棚を拭くことから始める私のヨガ。(出来ない日も沢山あります)それは特別なポーズをすることだけでなく、日々の小さな習慣の中にあります。
食事をする時も、「この食材は太陽や大地に感謝して、いただくものなんだ」と意識するようになりました。子どもと一緒に「いただきます」「ごちそうさま」を心から言うようにしています。
少し前まで、できない自分に苛立ち、落ち込むこともありました。でも、ヨガを続けている仲間の言葉や先生の教えを思い出し復讐をしながら、ぶれてしまった軸を何度も中心に戻す作業を繰り返す日々です。
まずは1日5分、10分でいいので、同じ時間に同じ場所に座って目を閉じてみることもおすすめです。ずっと身近なところから始められます。
「体が硬いからヨガは無理…」と思っている方も、どうぞ安心してください。私もまだまだ始めたばかり。そしてヨガのポーズにはそれぞれ精神性を養う意味があると知りました。
例えば、活力を生み出す立位のポーズ。寛大や受容な心を育む後屈のポーズ。自由な心を養う逆転のポーズ。そして、安定と忍耐を養う座位のポーズ。
どのポーズも、私たちがより良く生きるために必要な「精神性」を育んでくれます。
私自身も、ヨガを始めてから心療内科の薬を飲むのをやめることができ、心身の不調が落ち着いてきています。
穏やかな心に包まれて日々が過ごせますように。
心と身体をつなぐヨガ chiharu