はじめまして。心と体をつなぐヨガchiharuです。

私がヨガと出会ったのは、40歳を過ぎてから経験した自律神経の大きな乱れがきっかけでした。耳鳴りから始まり、仕事や子育てに追われる中で、自分の時間を顧みず、毎日を急いで生きていました。浅い呼吸と狭くなる視界。そしてパニック発作や迷走神経反射の診断に、私はひどく落ち込みました。あの発作の恐怖は、血の気がスーッと引くような、急に頭が真っ白になるような、経験した人にしか分からない感覚だと思います。必死に改善策を探す中で、「ヨガで自律神経を整える」という記事に光を見出し、翌日からYouTubeで太陽礼拝を始めました。たった一回の太陽礼拝で、気持ちが晴れてどっしりとした感覚を実感し、2ヶ月間、必死に毎日見様見真似にやってみたのが始まりでした。
私を助けてくれたのが、ヨガ哲学、特に講義で習った『バガヴァッド・ギーター』です。この聖典には、人生の究極的な「戦場」、つまり自分の心の中で起こる葛藤や迷いに対して、どう判断し、自分の義務(ダルマ)を果たすべきかが描かれています。成功や不成功、楽な道を選びたがる自我(エゴ)に負けそうになる時、賢者への教えである「私に心を向け私を信愛せよ。アルジュナ立ち上がれ戦う決意をして」という一節が、ネガティブな感情に振り回されることなく前を向く勇気を与えてくれました。
実践すること
現代はすぐに情報や結果が手に入りますが、心の制御や自我からの解放は、すぐに結果が出るものではありません。
スーパーに行けば育てなくても野菜が手に入る。知りたいことはAI検索をすればすぐにしることができて、欲しいものは手元でポチッとすればすぐに届く。次の日届くことも珍しくないこの時代に生きていると思考も慣れてきてしまいます。実際に私自身も子供の必要なものを携帯でポチッと頼み次の日に届くことで間に合ったという経験もたくさんあります。そして今日の食べたい自分の気分によってスーパーへ向かい手に入れるそんなことも沢山あります。すぐに結果が分からないともやもやしてしまう。それどころかイライラしてしまうことも。だからこそ、2000年前の経典『ヨーガ・スートラ』にあるように、「長い間 休みなく 大いなる真剣さをもって励まれるならば、堅固な基礎を持つものとなる」という言葉が胸に刺さります。歯磨きをするように、なんの迷いもなく「実践」を選択できるまで根気強く向き合い続けていきたいです。
ヨガを学んで変化してきたこと
ヨガではすぐに手に入ることは何もありません。瞑想中に急に集中が高まるわけもなく、瞑想時に姿勢を長時間保っていられる柔軟な体がすぐに手に入るわけでもありません。急にヨガの大先生のようにヤマ・ニヤマ(またの機会に意味についてお伝えしますね)を実践出来るわけもなく、ポーズでは足がすぐに180度開くわけでもありません。自分と常に向き合いながら一瞬一瞬の選択と向き合い一歩ずつ前へと歩んで行きます。
ですが現代に必要なことだと思います。人間が定めた時間というものにどこか束縛されているようにも感じてしまうけど、丁寧に冷静に生きてい来たいなと思います。
この文章を読んでくださった全ての方に、心より感謝を申し上げます。あなたの日常にも、ヨガがもたらす穏やかな光が灯りますように。

