【自律神経の苦しさを受け入れた先にあるもの、それは私という土台】

「なんだか生き急いでいるな、私。」

真面目な性格だからか、仕事や子育てでいつも小さなことを気にしてしまう。ちゃんとやらなきゃと思ってしまう。40歳を過ぎた頃、パニック発作という形で不調が現れました。体は健康なのに、心臓は緊張のピークのようにバクバクする。救急車を呼べるよう119番の画面を開いたまま、子どもたちを放置して発作が過ぎるのを待つことも。

それから薬を飲んでも根本的に解決しないと思い、藁にもすがる思いで出会ったのがヨガでした。

「体が硬いから…」と思いましたが、身体からのアプローチが、心、更には精神へと自分の中のエネルギーが駆け上ってゆくような感覚を経験。そして日常がヨガと言われるように、安定のための「土台作り」が必要なんですよね。ヨガと向き合う一人として私の自律神経の苦しかった体験を通して、どのように土台を作るのかなど学んだことをお伝えできればと思っています。

ポーズ練習から学んだ私という「土台」

ポーズを美しく取ることが最終目的かと思っていましたが、もちろん違いました。まずは毎朝、同じ場所にマットを引き、立つ。子供もいるし朝は一日の中でも一番忙しい。無理だ。というところから始まりました。とはいえ切羽詰まる状態の私は早くこの不調から抜け出したくて必死にヨガスクールで出ていた毎日ポーズの練習を!の課題になんとかついていきました。

そこでは様々な自分に出会います。布団から朝出たくないなという自分や、今日はやる気がしないな。という気分の波がある自分。そして何より自律神経の不調が怖くて恐怖の恐れに負けてしまう自分もいました。でもどうにか前に進まないといけないと思った時、まずはその自分の受け入れるしかありませんでした。私は今自律神経が乱れている。だからこのような症状が起きている。それによって私は怖い。目を背けないで、毎朝出会う自分を一度受け入れるということをしてみます。もちろん上手くいかない時もあります。その繰り返しの日々です。

それが朝の習慣化が整ってくると、そこから様々なことに興味関心が湧き上がり、ヨガの教えに対して「実践してみる」というところに意識が向くようになります。気がついたら様々な教えを純粋に受け取れる瞬間があり、最悪な状態だと思っていた今の自分や、今の環境に感謝するようになっていきました。少しずつ土台が形成されていきます。ポーズを深めるために毎日の練習の課題が出ていたのかと思っていましたが、まさに自分の「土台作り」のためだったと思っています。

「真我(プルシャ)」の教え

「この身体における最高のプルシャは、近くで見る者、承認者、支持者、享受者、偉大な主、最高の自己(アートマン)と言われる」

〜バガヴァッドギーター13_22

paramatman 最高の自己

私達の本質はプルシャであり、肉体を通して経験していく

プルシャとは本当の自分です。

肉体という借り物を使い、何を成していくのか。余りにも深いのでまだ良くわかっていない私ですがどのような経験を、永遠であるプルシャに与えていくのかを意識していかないといけないと感じています。

「私という土台」を広げたいものですよね。神社ヨガ教室でぜひ穏やかな時間を。

心と体をつなぐヨガchiharu