ヨガをして変わる・得られること(私の体験)

こんにちは!新米ヨガヨガ学び中のchiharuです。

この度、小さくではありますが、ヨガ教室を始めました。まだまだ生徒さんは少ないですが、ヨガと出会ってから私の人生が少しずつ変わってきた経験や学んできた事そのままを伝えたいと思っています。

少し前まで私は激しい自律神経の乱れに悩まされていました。耳鳴りから始まり、医師からはストレスだと言われても、忙しい日々の中で軽視していました。仕事と子育てに追われ、自分の時間なんてなく、毎日を急いで生きていることに気が付いた頃には、呼吸は浅くなり、視界も狭くなっているような感覚が。そうやって放置していたからか、パニック発作や迷走反射の乱れという診断を受けたときには、もう以前のように生きられないのではないか、と自分に自信が持てませんでした。発作の恐怖は、体験した人にしかわからないかもしれません。背中からすっと血の気が引くような感覚があって、直後に動悸が襲いかかります。体がその感覚を覚えてしまい、似たような状況になると脳がそれを呼び起こし、脈拍が乱れ、強い動悸に繋がることが何度もありました。

藁にもすがる思いで、「深呼吸」が大切だと聞き、本を読み、実践してみました。呼吸法は私の症状に効果的だと感じ、真剣に取り組みましたが、もっとなにかした方が良いと直感的に感じ、「以前のように子供と笑顔で過ごしたい、元気な自分に戻りたい」という一心で改善策を探し続けたところ、目に飛び込んできたのが「ヨガで自律神経を整える」という記事でした。

それは、私にとって一筋の光でした。次の日から、動画を見ながら毎日太陽礼拝をしました。たった1回目の太陽礼拝の直後から、効果をはっきりと実感しました。気持ちが晴れて前向きになり、足元にどっしりとした感覚がありました。必死に2ヶ月間、毎日ヨガを続けました。

私がヨガに向き合って感じたのは、ヨガはただ美しいポーズをとるだけではない、ということ。ヨガはマットを降りても、日常生活の中で私たちを助けてくれるものだと身にしみて感じています。ヨガの哲学を学び始めると、その教えが苦しい状況にある私を救ってくれる場面が日常にたくさんあることに気が付きました。そして、それは一瞬一瞬の自分の選択が、大きな意味を持つということも教えてくれました。

ヨガは「繋がり」を意味する

ヨガスクールで先生に「ヨガとは何だと思いますか?」と問われたとき、私はポーズをとること、体を動かすことだと漠然と考えていました。しかし、先生の答えは想像以上でした。「ヨガとは、繋がり結合を意味する」という言葉に驚きました。語源は、牛と荷台をつなぐ「くびき」だということ。それに驚いたのはヨガの歴史の長さです。いろんな説がありますが5000年前に瞑想をしていると思しきレリーフが見つかっているそうです。」若い頃の私には到底興味がわかなかった分野ですが、40歳を過ぎて心身の不調と向き合う今だからこそ、心に響くものがありました。

変わってきたこと

『バガヴァッド・ギーター』という講義で習った聖典には、迷い葛藤する聖者の王子が、神様からどのように自分の義務を果たしていくべきかを教えられる場面が描かれています。実は私たちの心の中、日々葛藤する自分自身を表していました。強くなりたい自分もいれば、エゴや執着に負けて逃げ出したくなる自分もいる。そんな時、聖典には「私に心を向け、私を信愛せよ。立ち上がれ、決意をして」という力強い一節があります。この言葉は、自律神経が乱れてネガティブな思考の敵に襲われた時、私に勇気をくれました。一番変化があったことかもしれません。ネガティブな思考に常に襲われていたわたしにとって、またパニック発作が来るのかなと不安に襲われて人の多いところに行くのが怖くなりました。それに常に緊張していたので子供からママ、ママー!と見てー!などと話しかけられることにも抵抗がありました。きつい口調で返していたと思います。そんなときは信じてネガティブな思考と向き合うのです。また敵がきた。一日に何回も浮かんでは消えていく思考の一つに過ぎない。巻き込まれてはならない。練習だ。そうやって見る側に立てることが、」出来なくても理解はできる自分がここにいる。そう思えることで良い悪いではなくただ見る。それはとても大きなことでした。

得られること。実践こそがヨガ。

『ヨーガ・スートラ』には、「長い間、休みなく、大いなる真剣さをもって励まれるならば、堅固な基礎を持つものとなる」という一節があります。ヨガは、一朝一夕で結果が出るものではありません。すぐに情報が手に入る現代では、もどかしく感じるかもしれませんが、歯磨きをするように、当たり前の習慣としてヨガを続けることが大切。その先に得られるものは堅固さ、忍耐、穏やか、立ち上がる力、受け入れる、受容する土台。そんな事が身につきます。そしてヨガの練習をしていると身体がまだ固いうちは不快な身体の居心地に気が取られてしまいます。私には無理。このポーズが出来なくて悔しい。あの人はできるのに私は出来ない。楽をしたい。受け入れられない。そんなマインドになったときこそが訓練の時。繰り返し繰り返し今の私を受け入れて行くこと。諦めず結果に執着せず挑み続けること。そこから得られることは何かを手に入れるというより解放されていく事。本当の自分を意識すること。そうやって毎日実践することがヨガなのだと感じています。

規律を持つことの大切さ

現在は改めてハタヨガを学んでいます。瞑想や呼吸法、哲学、そしてポーズの練習。古代から伝え継がれてきたものに触れる中で、まずは自分の内側に意識を持っていく練習をすることが、最も大切だと感じています。日々毎日、同じ場所で、同じ時間に座り整えること。規律を持つことは簡単ではないけれど、これが「ヨガをすること」なのだと心に刻んでいます。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。心穏やかな毎日を送れることを願っています。